------------------------------------------------------- 【テキスト中に現れる記号について】 《》:ルビ 例 黒須《くろす》 太一《たいち》 【読み進めるにあたって】 ストーリーは 1,「CROSS†CHANNEL」からはじまります。 順番はこの下にある【File】を参照のこと。 このファイルは たった一つのもの  8,「たった一つのもの(Disintegration)」 です。 ------------------------------------------------------- FlyingShine CROSS†CHANNEL 【Story】 夏。 学院の長い夏休み。 崩壊しかかった放送部の面々は、 個々のレベルにおいても崩れかかっていた。 初夏の合宿から戻ってきて以来、 部員たちの結束はバラバラで。 今や、まともに部活に参加しているのはただ一人という有様。 主人公は、放送部の一員。 夏休みで閑散とした学校、 ぽつぽつと姿を見せる仲間たちと、主人公は触れあっていく。 屋上に行けば、部長の宮澄見里が、 大きな放送アンテナを組み立てている。 一人で。 それは夏休みの放送部としての『部活』であったし、 完成させてラジオ放送することが課題にもなっていた。 以前は皆で携わっていた。一同が結束していた去年の夏。 今や、参加しているのは一名。 そんな二人を冷たく見つめるかつての仲間たち。 ともなって巻き起こる様々な対立。 そして和解。 バラバラだった部員たちの心は、少しずつ寄り添っていく。 そして夏休み最後の日、送信装置は完成する——— 装置はメッセージを乗せて、世界へと——— 【Character】 黒須《くろす》 太一《たいち》 主人公。放送部部員。 言葉遊び大好きなお調子者。のんき。意外とナイーブ。人並みにエロ大王でセクハラ大王。もの凄い美形だが、自分では不細工の極地だと思いこんでいる。容姿についてコンプレックスを持っていて、本気で落ち込んだりする。 支倉《はせくら》 曜子《ようこ》 太一の姉的存在(自称)で婚約者(自称)で一心同体(自称)。 超人的な万能人間。成績・運動能力・その他各種技能に精通している。性格は冷たく苛烈でわりとお茶目。ただしそれは行動のみで、言動や態度は気弱な少女そのもの。 滅多に人前に姿を見せない。太一のピンチになるとどこからともなく姿を見せる。 宮澄《みやすみ》 見里《みさと》 放送部部長。みみみ先輩と呼ばれると嫌がる人。けどみみ先輩はOK(意味不明)。 穏和。年下でも、のんびりとした敬語で話す。 しっかりしているようで、抜けている。柔和で、柔弱。 佐倉《さくら》 霧《きり》 放送部部員。 中性的な少女。 大人しく無口。引っ込み思案で、人見知りをする。 でも口を開けばはきはき喋るし、敵には苛烈な言葉を吐く。 凛々しく見えるが、じつは相方の山辺美希より傷つきやすい。 イノセンス万歳。 桐原《きりはら》 冬子《とうこ》 太一のクラスメイト。放送部幽霊部員。 甘やかされて育ったお嬢様。 自覚的に高飛車。品格重視で冷笑的。それを実戦する程度には、頭はまわる。 ただ太一と出会ってからは、ペースを乱されまくり。 山辺《やまのべ》 美希《みき》 放送部部員。 佐倉霧の相方。二人あわせてFLOWERS(お花ちゃんたち)と呼ばれる。 無邪気で明るい。笑顔。優等生。何にもまさってのーてんき。 太一とは良い友人同士という感じ。 堂島《どうじま》 遊紗《ゆさ》 太一の近所に住んでいた少女。 群青学院に通う。 太一に仄かな恋心を抱くが内気なので告白は諦めていたところに、先方から熱っぽいアプローチが続いてもしかしたらいけるかもという期待に浮かれて心穏やかでない日々を過ごす少女。 利発で成績は良いが、運動が苦手。 母親が、群青学院の学食に勤務している。肝っ玉母さん(100キログラム)。 桜庭《さくらば》 浩《ひろし》 太一のクラスメイト。放送部部員。 金髪の跳ね髪で、いかにも遊び人風。だが性格は温厚。 金持ちのお坊ちゃんで、甘やかされて育った。そのため常識に欠けていて破天荒な行動を取ることが多い。が、悪意はない。 闘争心と協調性が著しく欠如しており、散逸的な行動……特に突発的な放浪癖などが見られる。 島《しま》 友貴《ともき》 太一の同学年。 元バスケ部。放送部部員。 実直な少年で、性格も穏やか。 激可愛い彼女がいる。太一たち三人で、卒業風俗に行く約束をしているので、まだ童貞。友情大切。 無自覚に辛辣。 【File】 CROSS†CHANNEL  1,「CROSS†CHANNEL」  2,「崩壊」 CROSS POINT  1,「CROSS POINT(1周目)」  2,「CROSS POINT(2周目)」  3,「CROSS POINT(3周目)」 たった一つのもの  1,「たった一つのもの(1周目)」  2,「たった一つのもの(2週目)」  3,「たった一つのもの(大切な人)」  4,「たった一つのもの(いつか、わたし)」  5,「たった一つのもの(親友)」  6,「たった一つのもの(謝りに)」  7,「たった一つのもの(Disintegration)」  8,「たった一つのもの(弱虫)」 黒須ちゃん†寝る  1,「黒須ちゃん†寝る」 ------------------------------------------------------- たった一つのもの  8,「たった一つのもの(Disintegration)」 そして、俺は目覚めた。 念のため、茂みの奥を確認する。 よし。 位相のずれ。とでも言うのか。 俺の目だけが観測できるそれは、向こう側への帰還の道のり。 観測する者だけに、真実となる。 そこをくぐれば、帰れる。 人の満ちた世界に。 けれど。そう。 俺は——— 曜子ちゃんの姿はない。 ただ弁当だけが机に置いてあった。 学校に向かう。 無人の世界を歩く。 人だけでなく、生物そのものの気配がない。 満ちている感じがしない。 蝉も鳴かない。 不自然な、空間。 交差した世界の中核で、渦巻く矛盾。 わずか八人の小世界。 太一「……」 七香も、出てこない。 七香「……………………」 さて。 太一「へえ、来てたんだ」 冬子「……」 視線が窓の外に投じられる。 はじめて冬子が群青にやってきたとき。 コイツは、高い壁を周囲に張り巡らせていた。 部下のごとく、従えていたのだ。 一目で気に入ってしまった。 俺の猫的性分というやつだ。 太一「おい」 冬子「……なによ?」 太一「おまえ、金持ちなのか?」 冬子「…………」 無視された。 太一「おい」 冬子「……なに」 太一「おまえ、美人だよな」 冬子「……………………」 かすかに頬が引きつった。 それで、だいたい感触がわかった。 そして今も、冬子は『いつも』のままそこにいる。 毎週、毎週だ。 数限りない冬子に接してきた。 幸せとはほど遠い結末だけを見てきた。 俺と冬子は繰り返されてきた。 失敗ばかりだ。笑ってしまう。 ……言葉はいらないのかもしれない。 ただ見ているだけで、いいのかも。 それが絆というものなのかも。 太一「……」 冬子「……」 太一「…………」 冬子「…………」 太一「………………」 冬子「………………」 太一「………………………………………………………………」 冬子「……なんなのよもうっ!」 いきり立った。 太一「おまえはきれいだな」 冬子「な———ななななッ!?」 太一「はははは」 ……追い出された。 太一「ダメか」 とても難しい。 太一「いつもと変わりないオチ……か」 まあいい。のんびり行こう、と思った。 冬子は相変わらず教室でぼんやりしていた。目的もなく、ただそこにいる。他に何もできないからだ。慣性だけの冬子。 太一「冬子」 冬子「……え……?」 冬子と呼ばれたことへの戸惑い。 太一「両手を出して」 冬子「……やだ」 よし。食いついてきた。 太一「おまえが何を警戒しているのか想像はつく。だけど今回は違う」 冬子「前もそんなこと言ってたじゃない! だまされるもんですかっ」 太一「……困ったな」 冬子「握らせるつもりに決まってる……」 太一「ご挨拶だな。そういうんじゃないよ」 冬子「いーやーだー」 むう、手強い。力ずくだ。手込めだ。 太一「手」 強引に手を取る。握らせたいという衝動が湧き起こるが、ぐっと我慢する。 冬子「ちょっと……」 その顔がさっと青ざめる。手レイプされるとでも思ったのだろう。したいけど、今はしない。 太一「ママの味をくらえ」 ぽたぽたぽたてのひらに転がる、あめ玉みっつ。 冬子「あ」 太一「安心するがいい。二億匹の小さなワンダフルライフは入ってないから。休暇中でね(米笑)」 冬子「……当たり前でしょ」 ぎゅっと。冬子はあめ玉を握った。 太一「糖分を等分に摂取すれば当分は生きられるはずだ」 ダジャレも三重なら許されるはずだ。 太一「食欲がなくとも、ものを口に入れる習慣は維持するように」 冬子はじっと拳を見つめていた。 冬子「……あなたは、いつもそう。優しいフリをしたり、バカにしたり、冷たくしたり、恐くなったり。わかんないよ」 顔を覆う。 冬子「……ほっといて、お願いだから」 太一「へーい」 怒られた。目的は達成したので、よしとしよう。 太一「優しいフリ……か」 適当な言い分だけど、的を射ていたな。去年も、冬子はああしていた。そして俺は、やっぱりいつもと同じように——— 黒須太一の冬子いじりは続いていた。俺以外、誰も彼女に話しかけようとはしなかった。悪意でそうだったのではない。群青には会話の成立しない者もいたし、冬子自身も拒絶していたから。皆、悪意には敏感だったから——— そして俺は、悪意を食って生きるようなもので。 太一「桐原、昼飯は?」 冬子「……いらないの」 くぅ 太一「でも……腹鳴ってる」 冬子「……うるさいわねっ!」 太一「怒ると可愛いね。桐原は顔が怒気に満ちている方が似合ってるよ」 『笑うと可愛いね。桐原は笑顔の方が似合ってるよ』的なノリで告げた。 冬子「だまれ」 発展するはずもなく。 太一「弁当じゃないんだ。金持ちなのに」 冬子「……いらないんだってば」 太一「ふーん」 その目の前で、弁当をむさぼり食う。 くぅ 冬子「…………」 そのフェイスはすでにレッドだ。 太一「あのさ、もしかして学食の使い方わからないんだろ」 冬子はずっとうつむいていたが、やがて小さくうなずいた。 冬子「……ずっと寮だったの」 太一「寮か執事か、というわけだ」 冬子「どうして食事をとるのに、並ばないといけないのよ……意味不明」 太一「素でその台詞が出るなんてすげえな」 ただ者ではない。そう思った。 太一「よし、俺と行こう」 手を引く。 冬子「ええっ? い、いいわよ……」 太一「いいんだよ。美人には親切にするようにしてる」 冬子「ま、またそういう歯の浮くようなことを……」 太一「桐原はもっと心を開けば、楽しく生きていけると思うぞ」 冬子「…………」 太一「さ、行こう」 冬子「ち、ちょっとってば!?」 そうやって、一方的に好奇心だけの関係で。 ……………………。 太一「また教師と問題起こしたんだって?」 冬子「……関係ないでしょう、あなたには」 太一「制服も着ないし」 冬子「認めてないもの、ここの学生になったなんて」 太一「だって、試験で判定されちゃったんだろ?」 冬子「あんなもの……」 太一「じゃー桐原には人を傷つける可能性があるんだよ」 冬子「そんなこと、したことない!」 太一「俺もそう思う」 冬子「……はあ?」 太一「俺もそう思う」 あるとしたら。冬子は、自分で自分を壊すだけだろうと。 ……………………。 太一「……桐原は、群青が嫌い?」 冬子「嫌いに決まってるわ。だってわたし、まともなんだから」 冬子「冗談にもならないわよ」 太一「……そうか? 俺は楽しいけど。気楽だし」 冬子「どこが……毎日見張られて……異常者扱いされて」 太一「でも、怯えられることはない」 冬子「……わたしには関係ないことよ」 太一「じゃ、俺のことも嫌い?」 冬子「大嫌い」 太一「あははははは」 ……………………。 太一「ほんっと……いつまでも一人なんだな。友達できないぞ」 冬子「いらない」 太一「放送部に入るか?」 冬子「……入らない」 太一「んー、楽しいのに」 冬子「どうしてわたしを誘うのよ、他にいくらでもいるでしょう?」 太一「桐原がいいから」 冬子「……ど、どうしてょ……」 太一「桐原が気に入ったから」 冬子「……迷惑」 好きで、無害で、味方で、人なつっこくて。というオーラを浴びせ続けて。それは洗脳に近い。 …………………。 ある時、冬子は問いかけてきた。 冬子「黒須は、どうしてここにいるの?」 太一「……心が病んでいるから」 冬子「そうは思えないんだけど」 太一「見えない部分でな」 見せない部分で。冬子が頭を抱えた。 冬子「……わたし、もうやだ、ここ……こわい……この学院……戻りたい……」 どこに戻りたいのだろう。きっと、元の学校などではない。過ぎ去った、かつての日々の中へ、だ。 太一「平気だって。慣れれば楽しくなる」 冬子「慣れない」 太一「慣れないって決めてるんだろ? 桐原は可愛いから、その気になればいくらでも楽しく生きていけるよ」 冬子「そ、そういう話をしているわけじゃ」 太一「可愛い可愛い」 頭を撫でる。 冬子「……よしてよ! もうバカ!」 振り払う。けど本気で嫌がってたら、耳まで赤くなるだろうか? 太一「……ん……」 そして俺は、冬子の夢を——— 太一「すぅ……」 CROSS†CHANNEL 目を覚ます。陽光が窓を貫いていた。熟睡していたらしい。夢一つ見なかった。 時間は……7時。 学校に行かねば。 教室に立ち寄ってみる。 冬子がいた。 太一「おはよ」 冬子「……(ぷいり)」 太一「顔色悪いぞ」 冬子「……黒須には関係ない」 そっけないね。 太一「どうして学校に来てるの?」 冬子「それも関係ない」 太一「俺は知ってる。声をかけてほしかったからだ」 冬子「……違うわよ!」 声を荒げた。 太一「だから俺も声をかけた」 冬子「なに、言って……そんなの黒須が勝手に思ってるだけでしょ!」 太一「二日目だな。水だけじゃ死ぬぞ。これをやる」 曜子弁当を差し出す。 冬子「なに、コレ」 太一「下着とかワンダフルライフの小瓶とかじゃないことは確かだ」 冬子「……信用できなすぎる。あんたは、いつも精液のことしか考えてない」 太一「滅茶苦茶言い過ぎ、それ」 ショックだ。 太一「食い物だよっ。サンドイッチとあんまんが入ってる。……あんまんはせいろで蒸したんだぞ」 冬子「いらない……必要ない」 太一「いや必要。食え」 ずい あんまんを突きつける。 冬子「……やめて」 乱暴に手を払われる。あんまんが落ちた。 拾う。 ホコリのついた部分の皮をむしって、自分で食べる。 そしてまた差し出す。 冬子「あなた……」 親の仇とも師弟になれる必殺技だ。冬子相手なら楽勝だろう。 太一「ほら」 冬子「……ぁ……」 受け取った。あんまんを手に、ぽかんと俺を見つめる。 太一「自分しか、自分の心配をしてくれる人間がいないのは、つらいだろ?」 冬子「何言ってるのかわからない」 太一「人に心配されたい。満たされたい」 冬子「……」 黙りこむ。 太一「俺、ちょっとは心配なんだけどな」 きっと俺を睨んだ。 冬子「よく、言う。心配してるなら、どうして、どうしてっ!」 いきり立つ。 太一「あ、今は別に怒らせようとか思ってないんだけど」 びたーん よろめく。 全然痛くなかった。 冬子「……うう……」 冬子は攻撃したあと、へたりこんでいた。 太一「もし?」 冬子「……ん…………」 目頭を押さえて、青い顔をしている。 太一「……冬子」 そばにかがみ込む。 冬子「呼び捨てないでよ……」 絞り出すように言う。 太一「休戦だな。緊急事態だ」 冬子「目が見えない……」 太一「平気だ。血の巡りが悪くなってるんだよ」 冬子「気持ち悪い……吐きそう……」 太一「吐くか?」 冬子「……や」 太一「横になれって、ほら」 膝枕。 冬子「ん……頭、ぐるぐるする……立ちくらみしたみたいになってる……」 太一「すぐ見えるようになるって」 冬子「どうしてわかるのよ、医学なんて知らないくせに」 太一「冬子のことはわかる」 冬子「あ……」 太一「見えるようになってきたか」 冬子「……うん」 太一「貧血だ。たまにそういうことある」 冬子「ちょっと……楽になってきた……」 太一「口あけろ」 冬子「変なもの入れる、やだ」 太一「水だよ。純粋な水だって。飲ませてやるだけだよ」 冬子「……」 口をあけた。注ぐ。 冬子「わぷっ!?」 太一「あ、ごめん」 冬子「いい、自分で飲むわよ! 貸しなさい! んっんっんっ……」 中間の立場で苦労の絶えない部次長クラスの飲みっぷりで、冬子は中身を干した。胃袋が刺激されたのか。 くぅ 冬子「……今のは……間違いだから」 太一「知ってる。知ってるからメシ、食おう」 冬子「…………」 簡単に赤面した。 冬子が昼食を食べられる身分になって、しばらく後。 冬子「……今日は、わたしが並ぶ」 そんなことを言い出した。学食には慣れた。けど冬子はいつも俺の背後に隠れている。おかしな人々がいっぱいだから。トレイの受け取りまで、俺がやっていた。冬子の仕事は、座席とりだ。けどそれさえも怯え半分で。 太一「並ぶって……君が?」 冬子「……いつも並ばせてばっかりだから……今日からはわたしも並ぶわ」 食券を手に、カウンターに向かった。 太一「おやまあ……」 冬子「……ぱさぱさしてる」 太一「朝のだからな」 冬子「大きいくて食べにくい」 太一「俺用だったし」 冬子「マスタード入れすぎ」 太一「辛いの大好き」 冬子「…………」 太一「で、まずいと?」 冬子「…………おいしい」 太一「ならば、ゆっくり食え」 冬子「ぐじ」 鼻をすすった。 太一「ゆっくりな、胃袋が受け付けないから。あんまんもう一個あるけど、いるか?」 冬子「……いる」 太一「食事って、家の人が用意してくれてたんだろ?」 冬子「……ええ」 太一「いなくなったらどうなるの?」 冬子「どうにもならないわよ。何も出ないだけ」 太一「料理のできない冬子にとってみたら、死と隣り合わせだな」 冬子「……どうして……料理できないって、知ってる……?」 太一「気にしない」 冬子「気になる……」 太一「気分はいかが?」 冬子「ましになった……少しは」 太一「腹が減ったらうちに来い。キャビアはないけど、じゃがいもくらいだったらあるぞ」 冬子「…………でも」 言いたいことはわかる。裏切りを恐れて。 太一「……それよりさ。どうして、人は滅びたんだと思う?」 窓の外を見る。何かを期待して問うたわけでもない。 冬子「滅んだんじゃないわ」 冬子「……最初から誰もいなかったのよ。そう思えば、腹も立たない。落胆もない」 太一「同じ理由で俺を無視した?」 目線を向ける。冬子は視線の軸をそらした。 冬子「……そうよ。なのに、話しかけてきて……どうかしてる。わかってたくせに!」 太一「ごめんな」 冬子「どうして謝るのよ! 太一のこと……全然理解できないよ……」 さめざめと。時が、過ぎる。 じゃがいもを抱えて庭に。サバイバルマンガを参考にして炊飯の用意をする。 太一「できた……」 蒸すのは面倒なので、焼くことにする。二人分のじゃがいも。 待つ。 玄関先で人が倒れた。桐原冬子だ。 冬子「ううう」 太一「……」 冬子をかつぐ。 冬子「……た、たいち……?」 連れて行く。 冬子「あ、あう……」 座らせる。じゃがいもを口に入れる。 冬子「うううっ、うむむむむむむっ!? 自分で食べられるわよっ!!」 じゃがいものカスを飛ばしながら、叫んだ。 がつがつがつ 太一「はいよ、塩」 冬子「かけて」 太一「……はいよ」 冬子は一生懸命食べた。 冬子「……んくっ」 四肢が引きつる。計算通りだ(してないけど)。 太一「はい水」 ペットボトルを渡す。 冬子「んっんっんっ……」 飲み干す。 冬子「はふはふ」 また食い出す。七個か八個もたいらげて、ようやく冬子は一息ついた。 冬子「……落ち着いた」 太一「それゃ何より」 冬子は居住まいを正した。 冬子「……ごちそうさま」 太一「あいよ」 冬子「それと……あ、ありがとう」 ぎこちなかった。 太一「それよりこれを見てくれ」 冬子「これは?」 太一「缶詰というものだ」 冬子「ふぅん」 太一「あけると、食べ物が入っている。ウェットな保存食だな」 冬子「……ああ、なるほど。どこに売っているの?」 太一「コンビニとか」 冬子「コンビニ……?」 太一「コンビニまで知らないか!」 冬子「し、知ってるわよぉ……ただ見たことがないだけ」 太一「イックゥ!!」 俺は達した。 転倒。 冬子「きゃあっ!? な、何事?」 太一「おまえの金持ち度は98%以上だ」 冬子「え……そうなのかしら……わからないわ……? それに今さらお金とか言われても……」 太一「ま、そうなんだけどさ。あーあ、あの時おまえの家のムコになっておけばよかったな」 むっとする。 冬子「……そーいう不純な動機で……」 太一「おまえだって、俺にこっそり両親に紹介しようとしたじゃん」 冬子「……したけど……太一逃げた」 太一「あのねえ、冬子。俺は群青学院最重要指名手配犯なんだよ。そんな人間を紹介したって……おまえのゴッドファーザーが認めてくれるはずないだろう?」 冬子「……太一はおかしくないもの」 太一「そんなセリフが出るようじゃ、まだまだだな。まだまだ蒙古斑が取れない」 冬子「前も、そんなこと言ってたわね。でもわからないものはわからない……わたし、馬鹿だから……。優しくしてくれれば、それだけでいい……」 太一「ふむ」 冬子「……面倒になってくる。ただ生きるために努力しないといけないなんて」 太一「桐原は一人では生きられないのだな」 冬子「……るさい」 太一「自動的なやつめ……」 冬子「ねえ」 太一「ん?」 冬子「……ここに住んだらだめ?」 太一「いいよ」 冬子「……そう……って、え? い、いいの?」 太一「いいよ」 冬子「あ、あの、すぐ着替えとか持ってくるからっ」 太一「洗濯ばさみはあるからなー、持ってこないでいいぞー」 冬子「……んがぐくっ!?」 すぐ戻ってきた。鞄がパンパンになるほどの荷物を抱えてきた。膝が笑って、汗だくになっていた。 箸より重いものを持ったことがないんだろ、とからかったことを思い出す。そしたらこの女、ナイフとフォークでしょ、と返してきた。真顔で。 太一「無理したな」 冬子「い、いっぱいありすぎて一人じゃ———」 ぱっちりと瞳を見開いて、ばたばたと身振りまじりに説明する。こういうところはさすがに可愛い。 太一「明日、車を使おう」 冬子「免許は?」 太一「必要か、ここで?」 冬子「あ、そうか……とりあえず、最低限の着替えだけ持ってきたから、今夜から泊めて」 太一「同じ部屋はいやかな?」 冬子「同じ部屋の方がいい……」 太一「狭いけど文句言うなよ」 冬子「……狭い方がいい……ひっつけるから……」 太一「え……?」 冬子「な、なんでもない……」 鼻先を赤く染めて(暗くてわからないがたぶん)、冬子はそっぽを向いた。畜生、コケットだな。ここはだが大人の魅力で、冷静に対処してやるぞ。 太一「さささささて、すスすすることもないしねねねねねねね寝るか」 うわーん! いかん、落ち着け俺。 冬子「あ、あの……」 太一「ん? はい? 何?」 冬子「お風呂、使いたい」 太一「んー、一応風呂に汲み置きはあるんだけど……行水でよければ」 秘蔵の水なのだが、一週間を生きるペースは掴めているのでもうどうでもいい。 冬子「それでいい、借りるわね」 太一「……はい」 寝台の上に正座して考える。 いかん。 やる気まんまんだ。 わかりやすい。 可愛すぎるほど、シンプルだ。ひだのない、フラットな心。純粋だから、あんなことが……できるんだろうな。 難しい。 どうするべきか。 ……答えは、一つだよな。 そう。 冬子が冬子であるために。その意味では、一緒に暮らすべきではない。けど……少しくらいは……欲しいものもある。健全なものを得られるか。これは、そういう日々だ。聖なる戦いだ。 冬子「太一……」 戻ってきた。 太一「冬子……」 冬子「……キレイになったよ、わたし……」 立ち上がった瞬間に抱きつかれそうだ。はやい。そして脆い。昔、近くのアパートに有名なバカップルが住んでいたが、別れたりくっついたりしていた。近所に怒号が届くほど口論するのに、ヨリを戻すのはあっという間。 ……まさか自分がそうなるとは。そして冬子は俺の前で恥ずかしげに『キレイになったよ』などと言います。 太一「うん、そうだね」 最高の笑顔を向けた。 太一「じゃ、はい」 寝袋を渡した。 冬子「……………………この筒はなに?」 丸めて専用の袋に入れてあるので、円筒形だ。 太一「おまえは知らないだろうが、これは寝袋といって寝るための袋だ」 冬子の頭上に『?』マークが踊る。 冬子「どうして袋に入って寝るの?」 太一「女は男のための袋ではないからだ」 冬子「……難しいわね、ちょっとわからない」 わかってたまるか。 太一「これを使えば、床でもそう痛くはない。やったね、冬子!」 冬子「そこに寝台があるじゃない……」 太一「これは俺の」 冬子「……」 太一「……」 メンチを切りあう。 冬子「意味不明度が高くなってきたわ……」 太一「泊めるとは言ったが、それ以外は約束してないからな」 太一「じゃおやすみー」 柔らかいベッドに身を沈めた。暗いし、寝る以外にすることはないのだ。 冬子「えっ、ちょっと……まだなにも……して、な……」 太一「ぐう」 冬子「そ、そんなぁ……」 太一「ぐう」 冬子「ばかばかばかっ、太一のばか」 太一「ぐう」 ごそごそ寝袋を広げる音。 身を滑り込ませる音。 冬子「ううう……床、いたい……」 不平不満。 冬子「…………」 冬子「暑いっ! 夏場でこんなのに入ってられない!」 冬子「もういい、直接寝るから…………すん……かたいよぅ、いたいよぅ……」 寝付くまでさめざめと泣き続けた。 太一「……うるせぇです……」 冬子が睡眠に落ちるまで、俺が寝られなかった。 それでも。手を伸ばして、そっと目尻をぬぐってやった。 CROSS†CHANNEL 起きると、冬子が床で寝ていた。苦悶の表情だ。 冬子「……ぅぅぅ……」 かわいそうに。悪い夢でも見たのかもしれない。ともかく、着替えて学校に向かった。 脱走させないための門。学生を守っているというより、外の世界を、俺たちから守っているような。 そんな印象を抱かせた。昔の番長みたいに、自分の席に座って机の上で脚を組んだ。ゆらゆらと椅子を傾ける。やることがない。本当に暇である。 冬子「太一……」 ずいぶん遅れて、冬子はやってきた。息を切らしている。 太一「お、遅かったな」 冬子「……捜した……あちこち……」 太一「なるほど、それで遅れたのか。遅刻ー、遅刻ー!」 からかうと、怒りの形相。いやたぶんからかわなくても同じだった。 冬子「どうして一人で行くのよ! どうして起こさないの!?」 太一「寝てたから」 冬子「起こしてよ!」 太一「……(思案)すまん、気がつかなかった」 冬子は膝を折る。 冬子「……もう……泣きそう……」 太一「泣き虫だな。それより食い物をいろいろかき集めて食おう、空腹なんだ」 冬子「……はぁぁ……」 それから二人で、いろいろな食べ物を探した。近くの民家や、店舗。フードを求めて。冬子は憮然としていた。ずっと。生ものを避ければ、手にはいるのはパック食品や乾物ばかりだ。しかもレトルトも知らない冬子にいちいち説明していたため、時間ばかりかかってしまった。それでも二人で安っぽい昼食を摂る頃には、機嫌を直していた。 冬子「……黒須って、女友達多いんだ」 太一「は? 唐突になに?」 冬子「今日、部室の前通ったら、なんかみんなで騒いでたから」 太一「ああ、そりゃあね」 冬子「人気者なんだ」 普通に騒いでいただけだ。 太一「……なにヘソ曲げてるの?」 冬子「曲げてないわよ!」 怒った。 太一「友達というか部員だしなぁ……男もいただろ?」 冬子「見えなかった……」 太一「何人かいたはずだ。けどさ、本当に俺が人気者でモテてたら、彼女の一人くらいいると思わないか?」 冬子「い、いないんだ……」 太一「いたら、こうして桐原に声かけてない」 冬子「……………………ぇ?」 俺の侵略は、着実に進んでいった。 午後は部室で過ごした。風通しが良くて、教室より涼しいからだ。 太一「思い出すな」 冬子「……え?」 太一「冬子が部室に遊びにくるまで、苦労したっけ」 冬子「…………」 たまに部活に来るようになった。 太一「……よ、来たな」 冬子「退屈だったから、顔出しただけ」 太一「みんないない時に来るんだよな、桐原は」 冬子「……偶然よ」 太一「まあ座れ。安物のコーヒーを振る舞ってやろう」 冬子「……うん」 ……………………。 実験だった。俺という人間が、愛想良くすることで、どの程度世間に通じるのか。どの程度、騙し通せるのか。結果次第で、どう生きるかも決められる。 とけこめるのか。絆とか情けを模倣して。生存は可なのか。そのためには、ある程度は、人を意のままに操る力が必要だ。俺は異質なのだから。怯えられてはならない。醜悪さを、気取られてはならない。俺の根底にある醜さは、魔女のイメージと直結していた。原因は……子供の頃の御伽噺か何かだろうか。本で読んだ魔女狩りの歴史があまりにも苛烈だったことから、あるいは『魔女は本当に邪悪なものなのだ』という認識を抱いたせいかもしれない。してみれば白髪も、魔性の特質に思える。この瞳の輝きにしても、だ。気に病むことに際限はない。 太一「ほら、冬子の分」 コーヒーを渡した。安物と言って、ブルーマウンテンを出すのがコツだ。 冬子「……ねえ」 太一「ん?」 冬子「太一って呼ぶから」 少し驚いた。はじめて冬子に逸脱されたように感じた。彼女に対する俺の認識から。 太一「……いいけど。唐突だな」 冬子「だってわたしだけ冬子冬子って呼ばれて、不公平だわ」 冬子「だから仕返し」 ニヤリと笑った。 太一「……どうぞご自由に」 苦笑、してみせた。 ……………………。 太一「これは?」 冬子「……お、お弁当作ったの……わたしがね」 太一「へー、こんな庶民的なものも作れたんだな」 冬子「もっちろんよ。これでも料理は得意なんだから」 太一「量多くない?」 冬子「……そうね……作りすぎて……だから太一、特別に相伴に預かってもいいわよ」 太一「あ、そ……」 呆れた。 冬子「……おいしい?」 太一「うん、まっとうにうまい」 冬子「そ、その……卵焼きとかどう?」 太一「なんかこれだけ、妙にいびつなんだよな……他のはキチッとしてるのに」 冬子「う……」 なるほど。反応から真実を察して、適した行動を選択する。 太一「ん……ああ、でもこれが一番うまい」 冬子「ホント!?」 太一「ああ。なんだろ、うまいな。なんか、気持ちがこもってる感じがする。うん、うまいうまい」 実は、一番まずかった。見た目のままに。そんな日々を、丁寧に繰り返していった。 ……………………。 半日が過ぎ去った。何気ない時。他愛ない時。それは無価値という意味だろうか? 否だ。 いつか、この学校のまねごとめいた冬子との時間を、きっと思い返すことだろう。 冬子「ねえ、帰りつきあってよ……約束したでしょ?」 家に戻ろうかという段階になって、彼女は言った。 太一「ああ、大丈夫大丈夫」 車の目星はつけてある。 太一「ククク」 今日は、校長のフェラーリをいただく。キーは校長室から失敬してある。確かに俺には運転の才能はなかった。が、かわりに溢れんばかりに努力の才があったのだ。俺は繰り返される一週間の日々、幾度となく車に触れ、習熟してきた。今やその腕前はフォーミュラ的(?)である。 フォンフォンフォン! 太一「さ、行こう」 冬子「ドライブみたい、うふ」 助手席に乗り込む。 太一「シートベルトをつけてくれよ」 冬子「……ええ、そうね……」 太一「じゃ出動!」 ……………………。 冬子「……もう……太一とドライブはしない……」 太一「同感だ」 なかなかうまくならないな。またフェラーリを大破させてしまった。 太一「だいたい乗りにくいんだよ。ハンドル切ったらすぐぶれるし、クラッチ重いしギアは入りにくいし……しかも減速してからシフトダウンするとなんかガクガクするし……欠陥車か」 才能ないのかな……俺。とりあえず車を使い捨てにしないといけないのはどういうことだろう。冬子の屋敷に向かう。 ……………………。 冬子「荷物、なに持って行こうかなーって思っていろいろ探したの」 冬子「そしたら古い写真が出てきたのよ?」 嬉しそうに言う。 冬子「捨てなくてよかった……壁に貼ろうと思うの」 冬子「壁が埋まっちゃうくらいあったわよ」 太一「ふーん」 冬子「ふふっ」 腕を組んできた。俺は道具袋からアイテムを取り出し、装備した。 太一「これを見ろ、桐原」 冬子「腕章?」 令嬢は目をこらす。 冬子「……ばかっぷる……はんたい……」 冬子「バカップル反対」 変換する冬子。 太一「そうだ。俺はバカップルが及ぼす環境への重大な影響を重く見て、毅然とした態度でその規制ならびに抑制に努める立場なのだ。腕組みやめ」 振り払う。 冬子「い、いつものことながら……なに言ってるのかわからないんだけど」 太一「人前での没頭的な愛情表現は慎むべし」 冬子「人って、もういない……」 太一「ちょっといる」 冬子「うー」 不満げ。 太一「桐原、おまえが反転型の勝ち気娘なのはいい」 冬子「はあ?」 太一「けどちょっと甘くしたらベタってしすぎるよ! 水気が多すぎだよ! もっと徹底して勝ち気っぽく行こうよ! 照れる時は厳選。その方が萌え……桐原のためなんだ」 冬子「は、はぁ……」 太一「おまえは宝石のような女だ」 冬子「えっ(ドキッ)」 太一「その輝きはダイヤモンドにまさる……だが悲しいかな、ダイヤは炭素なので火にくべたら燃えてしまうんだ。ガッデム。生涯かけてたくわえた富をダイヤで保存することの愚かしさがよくわかるというものさ」 冬子「???」 太一「一長一短なんだ。そのことをわかっておくれ、私の素敵な淑女よ」 冬子「よくわからないけど、わかったわ」 太一「わかってくれたか」 冬子「……太一、恥ずかしいんだ。人前でベタベタするの」 太一「えい」 パンツおろした。 冬子「ふぎー!」 太一「ふぎー」 帰りは桐原家の大きなキャンピングカーを使った。途中で事故った。 自宅まではまだ数百メートルあってしんどい。 そこで、たまたまその付近に停車してある車のキーをすでに入手済みだ。 冬子「……なんか……準備いい……」 太一「不本意ではある。あー!! 疲れたー!!」 冬子「……ありがとね。全部やってもらって」 太一「いーよ」 冬子「水風呂、一緒に入ろうか?」 太一「Hなしなら」 冬子「……」 無表情だがその下にどんな感情が渦巻いていることか。 冬子「先に入ってくる」 太一「いってらーっさーい」 さてと。荷物をあさる。ハラキリ丸を発見。庭に出て。 へし折った。かわりにカーネーションを装着しておく。花は平和の象徴だしな。 冬子「……さっぱり」 太一「うん、さっぱりしたな」 冬子「今、すごくキレイになってるんだけど……ねえ?」 太一「来たな」 昨日よりストレートなアプローチだ。だからバカップル技能保持者は……。 冬子「ねえ、本当はもう我慢できなくなってるんでしょ? 太一、Hだもんね」 太一「おりしもインポテンツになった」 冬子「…………」 太一「インポテンツはドイツ語だ。勉強になったろ? インポだと直接的すぎるから、略称はポテンでどうだ?」 冬子「……………………嫌われてる?」 太一「メチャ愛してる」 冬子「じゃあどうして!」 太一「愛しているからだ」 冬子「???」 というか、一度手を出すとどうにもならん。ここでぐっと我慢し続ける必要があった。 冬子「……いいわ。お手入れしてから寝よう」 お肌の手入れか? 興味を引かれる。 太一「さすが、そーいうところは女の子だね! 少女らしさを大切にして———」 刀の手入れをしようとしていた。 太一「……違う」 冬子「さて」 俺の深く静かな弾劾は届かなかった。 するり。 愛刀を鞘からのぞかせる。 カーネーション。 冬子「私の魂ガーーーーーーッッッ!!??」 ガクガクガクガクッ!! 痙攣した。 冬子「あうあうあうあうっっっ」 口からなにか出た。 ※なにか=エクトプラズム 太一「いかん!」 冬子「んんんんんんんっ!?」 押し込んでいく。 冬子「……はぁはぁはぁ」 我に返る。 冬子「ちょっと、これどういうことなのよ!!」 太一「刃物は持ち込み禁止だこのバカ!!」 冬子「バカはどっちよ! この刀がわたしの魂の一部と知っての狼藉っ!?」 太一「ああ、知っててやったね」 吐き捨てる。 太一「武器なんていらねぇんですよ!」 冬子「う……ううう……名刀が……」 太一「新しいのとか持ってこないように」 冬子はいじけて寝た。 だって。 だってなぁ——— 冬子「ねえ……太一の家、遊びに行きたい」 太一「いいよ、来れば?」 冬子「……おうちの方とか、は?」 太一「仕事で寮暮らししてるから、たまにしか帰ってこないよ」 太一「だいたい一人だね」 冬子「……そ、そうなんだ……じゃ、今度、行こうかな」 来るべき時が来た。実証の時。 ……………………。 変化は唐突に訪れた。 冬子「……宮澄先輩と話すのやめて」 太一「どうして?」 目をすえて、俺を推しはかっている。 太一「別にやましいことはしてないけど?」 冬子「いやなの。やめて。それでわたしのそばにいて」 太一「……いるじゃない、今こうして」 冬子「もっと……」 太一「もっとって……だいたい、部活してるんだからどうしたって先輩と会話は……」 冬子「部活、やめて」 太一「無理言うなよ」 冬子「宮澄先輩、邪魔……」 太一「冬子?」 危険な。 冬子「いなくなれば、いいのかな」 それは危険な。 太一「おい、しっかりしろ」 冬子「……え?」 我に返る。 太一「しっかり自分を保てよ。変な感じだったぞ」 冬子「ああ、ごめんなさい……ふふ……ねえ、他には、したいことないの?」 それは傾斜のはじまり。 CROSS†CHANNEL 楽しい登校。なのに。冬子はむくれていた。 太一「……」 冬子「……」 太一「…………」 冬子「…………」 太一「ねえ」 冬子「……ふん」 バリヤーが張ってある。 太一「うーん」 今朝からずっとこんな調子だった。 太一「おーい」 冬子「……」 駄目か。一人でつかつか先に行く冬子。 追いすがる。 隣に並ぶ。 気位の高い冬子は、まるでこっちを見ようともしない。片手を伸ばして、胸をわしづかみにしてみた。 冬子「いっ!?」 太一「おまえって全然おっぱいないヨネ!」 冬子「おだまりーーーーっ!!」 太一「お嬢様ーーーーーっ!!」 門も開きっぱなしか。まるで俺たちを迎え入れるよう。牢獄なのだと思っていた。 けど今は、優しい胎のように安心できる場所だ。 人はいない。どこにもいない。 ただ学校だけが、群青学院だけが、自然に集まりあえる場所。引き寄せられて過去を営む。実際、この人類滅亡は相当にキツい。トドメになったのだと思う。ほとんどの人間に。 俺には福音となり、彼らには落胆と緩慢な死を。 そして冬子は我が家に来るしかなくなった。 皮肉である。 肩をすくめて、冬子のすぐ隣……自分の席に座る。横顔を眺める。黙殺しているようで、こっちを意識しているのがわかる。 太一「昨夜は悪かったな」 冬子「……全然反省してない……」 太一「いやあ」 冬子「……太一はいつもそう」 冬子「私のことなんて、目に入ってないみたいで」 冬子「すぐひとりで……勝手に行動して」 太一「まったくだ。反省してる」 冬子「ちょっとくらい、構ってほしいのに」 太一「そう思って……用意してきた」 冬子「用意?」 冬子の机の上に、コロッケパンをどさどさ。 太一「さあ、好きなだけ餓えを満たすがいい!」 冬子「ちがーう!!」 くるるー しかし冬子の腹は鳴った。 冬子「はふっ!?」 太一「腹の虫」 冬子「こっ、これは違うの!」 くる、くるるー 腹の虫。 太一「腹の虫アゲイン」 冬子「だからこれは別件!」 太一「隠しても無駄だ、俺は腹の虫と会話できるんだぞ?」 冬子「…………はぃ?」 太一「とにかくおまえは空腹なのだ。ちなみに俺も空腹だ。そこで一時間目の授業は、コロッケパンとする」 パッケージを破り、一つ目にくらいついた。幸いなことに、腐ってはいないようだ。 太一「ついでに仲直りの時間ともする……道徳ってやつかな」 冬子は唖然としていた。 冬子「……ねえ、太一」 太一「んむ?」 冬子「……太一にとって、わたしっていらない子なの?」 太一「そんなことないよ」 冬子「……じゃあ……どうして触れようとしないの」 別に……したくないなんて言ってないじゃない……一緒に暮らすって、そういうことじゃないの?」 太一「……堕落したくないんだよ」 パンにかぶりつく。 太一「今の張りつめた理性を、ほどきたくない」 冬子「……理性って……」 太一「おまえさ、自分を保つ自信、ある?」 こんな状況下で。 冬子「……保たなくてもいい」 太一「自分が昔、何をしたか、忘れたわけじゃないだろ?」 冬子「あれは太一が……」 太一「俺がどうあっても、普通あんなことしない」 冬子「……」 太一「冬子のことはちゃんと好きだよ」 冬子「だったら……」 太一「けど俺が好きなのは、普段の冬子なんだ。つんとすまして、世界と戦ってる冬子だ。で、俺は冬子の逃げ道じゃない。だから、あれは恋にもなってない」 それ自体は別に構わないとしても。冬子は、これから一人で生きていかないといけなくなる。だから戦う力は必要だ。 冬子「だから……振ったんだ……」 太一「まあ。人に依存されるのも依存するのも、苦手なんだ。だから、冬子にも溺れたくない。けど好きだから、冬子が壊れないよう助けはする。そーいう、いたって簡単なことだよ、これは」 冬子「…………」 無言で、パンを囓る。 冬子「……ひっく」 涙ぐむ。 冬子「ひっく……うくっ……う、うううう……」 羽化するために。 トイレに行く。 太一「ふう」 曜子「……太一」 出た。 曜子「バカップル反対」 太一「え……?」 曜子「私も、バカップル反対。太一と一緒」 太一「……あ、そう」 無表情に見えて、瞳には決意が宿る。 太一「おっしゃりようはわかりました。で、それだけを言いに?」 曜子「……うん」 太一「しかし……」 自分はどうなんだ? 太一「曜子ちゃん」 曜子「なに?」 太一「愛してる。キスしようか?」 曜子「……太一っ」 ねっとりと蛇みたいに抱きついてきた。アイアンクロー。 太一「自分にも適用せいや」 曜子「あああ……いた……いたいよ……これ……ごめんなさい、ごめっ……」 冬子「…………はぁ」 これで何度目なのか。重いため息。隣にいる俺の胃も重く。 太一「なあ、海に行こうか?」 冬子「え……?」 太一「二人っきりで、明日」 冬子「……でも……太一、わたしとじゃイヤなんでしょ……」 さっきまで無視オーラだったものが、一足飛びにこうなる仕組みが謎だ。 太一「いやじゃないよ」 スマイルを向ける。 太一「冬子がしゃんとしてくれるなら、ちっとも」 冬子「……しゃんと……」 冬子「太一の言うことって、難しい……」 太一「恋って、複雑系だろ」 オスカークラスの演技力で適当言う俺。 冬子「じゃあひとつきくけど……わたしのことは好きなんだ?」 太一「そうさ!」 白い歯も眩しい、ミリオン級の笑顔を照射した。 冬子「はぁぁ」 とろける令嬢。 冬子「よくわかんないけど……いいわ。好きって言ってくれたし」 うっとりと言った。 太一「シンプルすぎる」 冬子とは反対側に投じられた俺のささやきは、林の向こうに消えた。 冬子「……変な男のこと、好きになっちゃったなぁ」 少し楽しげに、冬子は伸びをした。本当、物好きである。 CROSS†CHANNEL 太一「金曜日、か」 世界が揺り戻されるまで、あと三日。今日もなすべきことをしよう。 太一「といっても……」 床を見る。冬子が寝ていた。 夜ごとに痛い痛い呻いていたが、ようやく慣れたらしい。ぐっすりと寝ている。今日はコイツと海か。海はムードがいいからなぁ。いろいろ注意しないといけない。エロいことをしてしまうと、自分を抑制する自信がない。 太一「頑張ろー」 素肌のふれあいを執拗に回避していたら、口論になった。冬子はいじけて、一人でどっかに行ってしまった。 太一「……もう、あんなことはゴメンだからな」 あんなこと。傾斜について——— ……………………。 太一「どういうことだよ、冬子」 俺は冬子に詰め寄っていた。 太一「みんなの前で……あんなことしようとするなんて」 冬子「……だって、関係ないじゃない」 太一「関係ないだって?」 冬子「わたしたちだけでいいでしょ?」 太一「あのな……そんなわけ……」 さすられた。公衆の面前で。 太一「電車の中でキスしてるのとはわけが違うんだぞ」 冬子「今ここで、してもいいのよ?」 太一「あのな」 冬子「恥ずかしいけど」 太一「聞けって」 冬子「そしたら、理解してくれると思うから、みんなにも」 太一「……最近、冬子はおかしい」 冬子「太一がおかしくしたんじゃない」 笑いさざめく。 太一「…………」 気づいた。冬子もまた、群青にやってくるだけのものを持っているという……当たり前のことに。それを嫉妬というのか、狂気と呼ぶのか、俺には判断できない。ただ冬子は少しずつ、俺の手に負えなくなりつつあった。先に我に返ったのは俺で。今後、もっとひどくなるだろうと、容易に理解できた。手遅れになる前に動くのが最善だ。誰もがそれをわかっていて、実行できない。 初期化することにした。 ……………………。 夕刻になって、いじけていた冬子に、少しだけ触れた。 本当に少しだけ。 肩と肩をつけて、海を見た。 彼女の怒りのスタイルは崩れなかった。 内心の相反を感じ取る。 その程度の女心は理解できた。 太一「さて、そろそろ寝ますか」 冬子「わん」 太一「んー、冬子はお嬢様なのにチェスが弱いよな」 伸びをする。 冬子「……わん」 10勝0敗だった。 海から戻ってきても、冬子は不機嫌なままだったので、気を紛らわせようと勝負を挑んだのだった。 太一「夜食とかいる?」 冬子「わん」 首を左右に振る。 太一「じゃ寝るとするか」 ふかふかのベッドに身を預けた。 冬子「……わぅん……(涙)」 カチカチの床に、冬子は横たわった。静寂が忍び寄り、あたりを満たす。冬子は寝たかな? 太一「……ごめんな」 返事はない。だがやがて。 冬子「ねえ……太一……」 背中が語る。 太一「ん?」 冬子「ずっと一緒に、いられるのかな……」 太一「……俺はいつだって冬子の心の中にいるよ」 冬子「……ふふ、だったら平気かな」 太一「どうしてそんなことを?」 冬子「だって、人が消えたのよ? 私たちだっていつか……」 太一「……」 私たち、か。 冬子「消えるなら、せめて一緒がいい……のに……」 静かに言葉がすぼむ。冬子は眠った。しばらく眠れなかった。考えずにはいられなかった。 冬子がまた一人になった時、立ち直るのにどれだけ時間がかかるのか。立ち直ること自体、ありえるのかどうか。けど……だとしても……決断は変わらない。 太一「ごめんな」 再度の謝罪が、夜闇に吸われた。 CROSS†CHANNEL 土曜日だ。 ……あと一日。あと一日なんだ。 太一「ふわあ……」 起床。 冬子「くぅくぅ」 隣で冬子が寝ていた。軽やかな寝息。熟睡といった様子。 太一「……」 夜中に勝手に入り込んできたな。 冬子「……すー、すー」 安らかに寝ている。 太一「……ぷ」 子供みたいな寝顔だ。まあ、いいか。 一人で外に出た。空気が澄んでいる。 涼しくはないが、暑くはない。熱量が奪われてしまったのかな。確かめる手段ないし。冬子とのこと。 太一「特に……何か大きな思い出を作ったわけじゃないけど……」 つかず離れず。理想的な距離感で過ごしただけの一週間。冬子は壊れず、依存もなく。依存がないから……初期化をする必要もなく。 初期化……そう、あれは、俺のミスだったのだ。 冬子という人間を、読み違えた。 今でも、戦慄を感じる。 ……………………。 初期化することにした。 ……………………。 冬子「え———?」 初期化中。 冬子「今、なんて言った?」 初期化中。 冬子「……嘘、でしょ? いつもの冗談なんでしょ?」 初期化中。 冬子「……あは、何言ってるのよ、もうバカ。だまされないんだから………………本気なの?」 初期化中。 冬子「……だって、好きなんでしょ、わたしのこと?」 初期化中。 冬子「……ちょ……あんた……自分の言ってること……わかってるの?」 初期化中。 冬子「絶対……そんなの認めない……認めないから。バラしてやる! 部のみんなに! あんたの家族にも、学院のみんなにも! 全部、何されたかばらしてやる!」 初期化中。 冬子「……太一……やめようよ……そういうの好きじゃない……ねえ、買い物行こう? 服買ってあげる。太一……?」 冬子「ちょ……っと……」 初期化に失敗しました——— そして——— 冬子「……太一……ほら……怪我、しちゃった……太一……いたた……痛い……すごく痛いよ? 死にそう…………血がいっぱい出てる……だから……優しくしてよ……太一……もっと優しくして……そばにいてよ……いた……いたい……太一ぃぃぃ……出てきてよぉぉぉ……っ! 見てよぉぉ、わたしの血……見てってばぁぁぁぁ。そうしたら、またすぐ優しくしたくなるんだから。太一ぃ、出てきてぇぇぇぇ……」 曜子ちゃんがいなかったら。 冬子は生きてはいなかったろうし、事態はもっと深刻だったろう。退院し、復学した冬子は。 前のような……いや、前よりもっと徹底的に——— 美しくなっていた。 俺は冬子の孤独な様子を、美しいと思っていたのだった。 顔を覆う。生々しい血の赤。今でも網膜に滲みそうなほど。好きなんだろう。彼女のことが。ただままならないことに、俺の倫理はたいしたものじゃない。先輩やら美希やら霧やら……。 周囲にいる人間のことも、等しく愛護の目を向けている。冬子に対しても、等分に好きの気持ちがある。それは彼女の望む『好き』の形ではない。 太一「……終わってくれないかな、早く」 結論の出せないもどかしさに、心臓が膨張したみたいになった。 そして明日は日曜日——— CROSS†CHANNEL 起きると、冬子は寝ながら泣いていた。 冬子「……ふ……すん……」 寂しいのだろうな。額にはりついた髪を、そっとはらう。俺一人で、全てを満たすことはできない。時刻は昼前だ。寝過ぎたな。 太一「冬子、冬子」 起こす。 冬子「んにゃ……?」 太一「起きて。出発するから」 冬子「……え……どこに? ちょっと、どこに連れて行くの?」 太一「いいとこ」 ……………………。 冬子「ここって……?」 太一「さあ」 戸惑う冬子を所定の位置に立たせる。 太一「……」 じっと、見る。 冬子「ねえ……何がはじまるのよ?」 太一「質問です。正直に答えて下さい」 冬子「は、はい……」 太一「寂しい?」 冬子「え……さあ、どうかしら……」 太一「人がいなくなって、寂しくない?」 冬子「……寂しいというか……不安だけど……」 太一「帰りたい? 家に」 冬子「……そりゃ……あの頃に戻れるものなら……誰だってそうじゃないの? ねえ、どういうこと?」 太一「次の質問。冬子はずっと孤独だったけど、それはなぜ?」 冬子「……なぜって……言われても……わからない……ただ……悔しくて……異常者ってことにされて……それだけで、もう弾かれて……誰も声をかけてこなくって……一人でいるしかないじゃない……でも、太一は声をかけてきてくれたから……」 太一「……ごめん」 ただ、謝罪するしかない。 太一「じゃ最後の質問だ。俺のこと、好き?」 冬子「……ええと……うん、好き……」 最後の言葉だからか。平凡な単語が、じんと胸に届いた。 うん。 こんなところだろうか。 太一「じゃ冬子、勘違いするなよ。今度は捨てるわけじゃないからな、本当だぞ?………達者でな」 冬子「……太一、さっきからどうもよく理解できないんだけど……」 カシャ——— 目を閉じた。ひずみを見通せるのは俺だけだ。 向こうであり、こちらでもあるその場所を、決定づけるのは俺だ。最初、みんなをここに導いたように。送り返すこともまた、できた。閉じた目を開き、見直すと。冬子の姿は消えていた。 CROSS†CHANNEL 冬子「……いったいぜんたい……って、あら? 太一? きゃっ!? え……ラジオ? いつの間にポケットに…………どうして、聞こえてるの? 太一ー、大変、ラジオが! あ、もう……どこ行ったのよ! バカ! 太一ってばー!」 太一「さらば冬子」 これでまた、いろいろな可能性が消えたな。教室にはもう冬子はいない。刀で斬られることも永劫なくなった。べたべたしたりされたりすることも。殴られることも。冬子が俺にしてきた、全ての道筋が……絶たれたということでもある。 これからは、今までの記憶を、大切にしていくしかない。反芻して、生きていくしかない。 太一「哀れむな」 自分を。目頭を押さえて、指先を押しつけて。全力で、割り切る。 まだ続く。しないといけないことが、まだあるから。 また、来週——— そして、俺は目覚めた。